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追突

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カテゴリー「手記」の記事一覧

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追突8

あれから―街中のお洒落なネットカフェに入った時―大分時が過ぎて結局私は実家に戻ってしまいました。

帰ってすぐ気づいたことは母が父と別居をしている事実でした。父は警察官の奥さんと駆け落ちして子供も一緒に暮らしているのだそうでした。びっくりしましたね。私はてっきり父と母はずっと仲良く達者で暮らしているとばかり思ってましたから、久々に実家に帰った時に母は動揺して大声で捲くし立てながら、父の裏切りを顔を真っ赤にして詰っていました。それは、生まれて初めて聞いた母の口から出た父の悪口でした。元来、うちの母親は人の悪口をいうような人ではなく特に父の悪口など小さい頃から一度も聞いたことがなかったので正直言って驚いてしまいました。

結局、どうにかこうんか宥めてその話は終わったのですが、その後も思い出したように、イライラして父の引越し先など調べて尋ねて行くことが続いていましたね。その時私は母の女の執念を感じました。

現在は遣で働いているのですが、ある日、その派遣の帰り、駅の階段を上る時、踏鞴を踏み、思わず体がグラついてしまいました。もう少しで卒倒するとこまでいきました。少々ふらつきながらもシッカリと大地を踏みしめながら家路を辿り部屋に着くとすぐ座り込みました。

そして、その時、押入れの扉が半部以上開いていることに気づいたのです。それと共に押入れの中である異常現象が起きているのをハッキリとこの目で確認しました。それは白い普通自動車と大型ダンプが追突する光景でした。まるでスライドや映画のスクリーンのようにまざまざと押入れの中に浮かび上がったのでした。そしてそのシーンが終わるとすぐ間髪空けず次のシーンが登場しました。次のシーンは実写ではなくイラストでしたオレンジ色の黄色い出っ張りのある船が白い煙を吐きながらドンドン傾いて沈没していく光景でした。つまり転覆シーンです。その後押入れの中で見た光景と同じことは起きませんでしたが、実に不思議で妙な光景でした。

今でもその時の光景の残像はハッキリと脳裏に焼きついています。

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追突7

2010年3月18日に私の中でちょっとした変化と異変がありました。どのようなことかと申しますと、実は、私が大好きな趣味の一つである絵の世界のお話に関係しているとても嬉しい内容の夢を見たのでした。

その夢の内容ですが、な、何と驚いたことに、あの憧れの17世紀バロック時代のドイツの天才画家ピーテル・パウル・ルーベンスの最初の奥さんだと言われているイザベラ・ブラントの生まれ変わりだと思われる女性が出現したのです。

顔は非常に間近で見ましたね。それは、それは、とても美しいお顔でした。絶世と言っても良いくらいと思いましたよ。服装とか髪型とか雰囲気で水商売のクラブのママか何かに見えましたね。あのように美しい女性はそうそう見れるものではないなと思ったくらいでした。

ちょうど、その時の気持ちを文章で表現すると、1858年2月11日にフランスのルルドの泉で聖母マリア様のご出現に遭遇したベルナデッタの気持ちに大変よく似ていると思いますね。

自分は、決して交霊術とかやっている者ではないですが、もともと昔から霊感が強い方で近年はさらにその能力が高まって来ている、特に神様や天使に関する絵を描いたり、霊に関する文献を読んだり書物が部屋にある時に降霊現象を感じたことが多かったですね。

マリア様や天使の絵を描くことによってマリア様や天使を感じたように思えたこともありました。そういう意味では、自分はとても敏感な性質だと思います。

それと、先にお話したイザベラ・ブラントの生まれ変わりらしい女性の夢ですが、その夢を見た時も、自分の部屋には何日か前に借りて来たルーベンスの書物があったのです。おそらく、そのルーベンスの書物が魔方陣となって、そこから何らかの形で魔法が発生して降霊現象が起きてしまったのではなかろうかと思います。それ以降は、変わったことはマリア様の絵を描くと、その途端偶然だけど雨が降ることが多かったですね。

またマリア様の絵の顔の部分が自分が選んで塗った色と違う色に一瞬で変わったこともありました。何となく不思議な気分になりましたよ。その時自分は、世の中の摩訶不思議や神秘を感じました。

あっ、それから、さっきのイザベラ・ブラントの夢のお話ですが、その夢の結末は、イザベラが全体が真っ黒い上部にカタカナで“ベラザ”と白い太文字で書かれているビルの中に入っていったところで終わりでした。あれは、一体何を物語っていたのでしょうか?そして、何を言いたかったのでしょうか?

今となっては自分なりに想像するしかないですが、イザベラさんの生まれ変わりらしい霊はしばらく私の鳩尾部分に居て燻っていて何かを訴えている感じでした。きっと絵が描きたかったのでしょう、その日から霊が居る間だけは、いつもより綺麗に絵が描けたような気がしました。(特に色塗りの面でいつもより繊細に描けた感じを受けました)

本当に不思議な夢でしたが、また、このような神秘な出来事に遭遇したら、その事実をメモなどに書き残したいと思います。

また、趣味で沢山のデジタル画を描きましたが、私がそれらの絵の中で最も気に入っているのは「少女ベティー(神のご意思)」の絵です。“神のご意思に何者たりとも決して背いてはなりません!”というのが、この絵のキャッチフレーズです。

そして、私が考えるには、最後には全員が“マリア様の見える方向に向かって行く”と言うのが神様のご意思に従う原点に戻ることだと信じております。遥か遠く彼方で全身から眩いほどの光を発する優しく微笑むマリア様に向かって天使が羽を羽ばたかせ飛んで行く姿を想像すると心が洗われるような感覚に襲われます。

「少女ベティー(神のご意思)」の絵に誓いをお立てになって下さい!!

私は、もう既に嫌な事は少しづつですが忘れつつあります。遠い過去に某ネットカフェに行き、その時ネットカフェ内の個室の後方、斜め後ろにある壁の影に、不気味な浅黒い面長の男の顔ことなどもう忘却の彼方へ行こうとしています。

あの時、確かに背後に悪魔が忍び寄って来ていたのは確かだと思います。地獄の大魔王は、刻一刻と純真な罪の無い男女の生き胆や腸を狙って波長が合う輩を見つけると取り憑き遠隔操作や呪いによる指令で自由自在に操ろうとしています。

色んな世界に悪魔の使途が存在することになるでしょう。現在既にそうだと私は思ってます。芸能文芸芸術など特殊な技能の世界も競争が激しい世界なのでそんな世界で戦う人の心の中にも簡単に悪魔が棲みつく事があると思います。

なので、あの遠い過去のネットカフェ内の個室の後方に現れた不気味な浅黒い面長の異様に目が馬鹿でかくてギョロッと目付きの男にも、あの時点で既に心の中に悪魔が棲みついていたと見て間違いないでしょう。

あの人達もきっと芸能文芸芸術などの特殊技能の世界の人である可能性は大でしょう。或いは依頼を受けた特殊スパイ団体だったのでしょうか?

誰も弟子入りを志願した覚えも無いのにある日突然獲り憑くように狙われ、自分達のテリトリーに半ば強制的に曳きいれ何の約束も契約も交わしていないのに見えない場所―ここでいう見えない場所は主にネット内のバーチャル内など―で先輩・上司面をして相手の心に強い不快感や不信感や恐怖感を与え、そこから外で出ようとするとタイミングよく近郊火災や大小の建物の爆発が相次いでいたのは、今思うとその陰謀のために出資者を募って出来た資金で依頼事件を起こしていた。どうしてもそんな気がしてならないのです。

最近、というかここ数年企業や組織の大量リストラが相次いでいますが、それも先にに書かれているようなことがダンダンと色んな情報や噂で分かって来ての結果だなと思われます。

追突6

さて、ところで最初の方でお話しましたが、私はいつになったら、このジロジロと作品とか行動を観察される今いる世界から逃れられるのでしょうか?魔術は確かに勉強して行こうと思っていますが、環境が悪いと、覚えが悪くなるのは必然的です。さらに、根本的に元を正していけば、何故、彼らは、姿見えぬ、見せぬ彼らは、このジロジロと相手に不快感を与えながらも観察せずにはいられないかです。

異様な容姿が原因ではないかとも何度も思いました。でも、実際に姿を確かめた訳ではないので決めてはないのです。このように追い詰めていって最後、彼らが欲しいものとは、一体なんなのでしょうか!?私が、今一番気になるのはこのことです。

なぜ、「書いたら感想を言いたいからみせてね!」の一言が言えないのでしょう?もともと常識がないのはとうに分かっていますが、少し異常な気もしますね。やはり、良い部分は頂こうと思っているからでしょうか?

また、こういった人種の人たちの中の多くは、楽しそうにしているとすぐ、その楽しそうな原因を懸命に探ってきます。そしてそれが物や人だと必ずと言って良いほど、それを欲しがります。肝心なのは常に私の行動だけを探って自分で探しに行こうとしないことです。その楽しいことをです。

何でも私と関連づいたことではないと興味を示さないのです。果たしてその理由はなんでしょうか?何故、新しく楽しみを自分自身で新たに探しに行かないのでしょうか?そして、また、何故、私経由でなければならないのでしょうか?

考えれば考えるほどそれは、いつまでたっても解けない難解なパズルのような仕組みだと思います。何かに草臥れているのでしょうか?自分で探すことがそれほど面倒な理由があるのでしょうか?私がそんなにすごい人間に見えるのでしょうか?そして、何かを待っているのでしょうか?待っているのは一体何なんでしょうか?私は随分と悩み試行錯誤し、考えあぐねました。そして、考え抜いた結果、自分なりにある一つの結論に辿り着きました。

待っているものは、私が過去持っていたものに違いないと。だから、いつも探るように行動を観察し続けているのだということに気づいたのです。それも、どうもハッキリと問い詰めたり質問しないところをみると、どうもおっかなビックリの様子なのです。その状態をもっと分かりやすく言えば、半分期待して、半分は諦めている、または捨てている状態にも似ていると思います。どうしても半分、いえ、半分以上は期待できない何かがあるのかもしれません。

何をそんなに恐れ怯えているのでしょうか?こちらとしては、もし、何かあるのなら嫌がらせ観察やパントマイムではなくてハッキリとそのことを言葉によって伝えて欲しい気持ちでいっぱいです。口さがない噂で怯えてそのような態度を取っているのでしょうか?また、では、その口さがない噂とはどのようなものでしょうか?

私が想像するにそれは、おそらく、ある人物の人間像が、様々な証拠隠滅的な捏造そそれによる示唆によって歪められ間違った形で人々に伝えられているせいだと思います。つまり、事実とは大きくかけ離れたある人間の人物像が、架空の世界や人々の頭の中の想像の世界で勝手に一人歩きしている状態だと思うのです。端的に言うと、このようなことが言えますね。

ある人物が、ふと出来心で、ある人が付き合っている人に興味を抱き、接近しました。が、最初は、ほんの出来心でちょっと関わったら軽く交わして知らん顔して何もなかった顔をして過ごそうと思っていたら、予想と違ってとんでもない目に遭ってしまって、忘れようにも忘れられなくってしまった。そんなような出来事が発端で何でもないはずのことに火がつき、問題が非常に大きくなりすぎてしまった。このようなことが思い浮かびます。

上に書いたとんでもない目に遭ったという内容の度合いにもよりますが、この状況の為に、その後、ドンドン関係のない著名人や有名人、権力者が巻き込まれていったとしたら笑い事ではすまされませんよね。巻き込まれて行く、大きな原因の理由の一つは、“受けた仕打ちに対する復讐”でしょうね。

その復讐をするに当たって一番の大きな障害はきっかけでしょう。きっかけがほんのつまみ食いの興味本位のちらみに行こう程度だった場合です。それで済むはずだったのに、あまりにトンでもない目に遭ったものだから、そのまま忘れることが出来なくなってしまったのかもしれません。

ですが、最初が不純なので、正式に知り合っていない形、―出会い系の買い物だけつきあって、とか援助とかその日だけデート、写真撮影、オークションの手伝いなど―なので強く言えない物だから、表現が入り組んでいて不気味に秘密主義で可笑しいのだと思います。

つまり、正当な被害を訴える前に自分もある意味、それをハッキリと主張できないような形で出会ってしまっている。とこういうことが言えると思うのです。ハッキリ訴えたり文句を言うのなら、出会いのことも正しく言わなければなりませんからね。その上、もともとちょっと味見する程度の気持ちで知り合っていたら―もともと付き合おうと思って会っていないという意味、最終的に押し返すつもり程度の出会いという意味―余計、ハッキリと被害を訴えられないと思います。もし、文句をハッキリと言ったら、見えない場所でコソコソと会っていたことを認めないとならないし、現場をみられない限り大人の関係があったかもと色メガネで見られても何も言えないですからね。そう言ったことも追求されるのは目に見えているのでハッキリ言えないでいるのだと想像されます。

もっと具体的に言えば、自分も悪いのでハッキリ言えないのです。だけど恨みがすごい。そういう表現がピッタリ当てはまると思います。

出会った誰かが付き合っていた人が美しいので忘れられなくなった、何て人も中にはいないとは言い切れませんが、どちらかと言うと、美しいと思っているのを悟られたら何か仕打ちをかなり高い確率で受けていると思うので、そうだった場合、既に被害者になっていると思います。その被害による恨みは、ある意味歪んだ形で口伝えで話に尾ひれがつく形でグルグルと周囲を回っていると思います。

復讐の手伝いをしてもらいたいめに狙われた権力者は、その権力者の性格にもよりますが、うっかりその話に乗るとその人が馬鹿だった場合、大切な何かを無くしてしまう可能性もあります。巻き込んだ人、全てをも恐ろしいどす黒い混沌の世界に陥れてしまうほどの邪悪な陰謀が渦巻いているのは間違いないです。

どちらにしても、人が楽しそうにしていても隠している部分も多いからあまり簡単に羨ましがったりしないで―相性もありますからね、その人とはそうでも自分が付き合っても楽しくて幸せとは限らないですから―自分の幸せは自分の目で確かめて選ぶ、それが一番だと私は思います。

噂だけで思い込んで、知り合いを知り合いだとも、友達を友達とも思わなくなったら終わりですね。全て、本当のことが見えた時は、何もなくなってしまうと思いますよ。そこにあるのは噂の残り火や燃えカスだけだと思います。

追突5

また、カバラには、Kabbalah Numerology-カバラ数秘術というものがあり、これまた大変神秘的で魅惑的な世界なんです。

数秘について詳しく書かれているサイトを発見したので、ここで一部良い部分を抜粋してご紹介させてもらいます。

数秘術は古代ユダヤにで生まれた運命解読の秘法で、ユダヤ民族が生んだ最大の"知恵"と言われる”カバラ”が元になっています。
流浪の民であるユダヤ人が昔から迫害を受けてきたにもかかわらず、現在でも実業界や政治の舞台で大成功を収めている人たちが大勢いるのは、彼らの生活の中にカバラの思想が息づいているから。
このユダヤのカバラを整理して、現代数秘術の基礎を作ったのが有名な数秘学者のピタゴラスでした。

2600年の時を越えて、今でも数秘術が使われ続けているのは何よりもその的確さのせい。
宇宙に存在する万物はすべて数字に置き換えることができます。
そして一つ一つの数字はまるで暗号のようで、それぞれに個有の意味がありますから、呼び名(音)があるものでしたらどんな物事でも解析することは可能です。
時代や状況の流れも解析して先読みすることもできますから、ヨーロッパの権力者たちが数秘を封印した時代があったのもその正確さのせいでした。

数秘術では文字も数字に変換できるので、言葉(名前などの固有名詞)の隠れた性質や意味がわかります。
古代日本にも日本版数秘術のような「言霊」という読解術があり、「言葉にはたましいが宿る」と言われますが、実際に言葉には特有の意味やパワーがあることを誰でも実感されていると思います。

現代数秘術は「人の生き方を数字で読み取る古代の科学」です。

数秘術は占いと考えている人が多いのですが、実際には占いを越え、その”人”を教え、一生の設計図を見せてくれる素晴らしい人間分析方法です。
不安定な今の時代の中で、自分らしい生き方や心のよりどころを求めている多くの人にとって、数秘術は占いの域を越える現代的なカウンセリング法ともいえます。

数秘術では自分発見と再確認ができるだけでなく、人とのコミュニケーション方法や自分に合った人生設計、目標の実現方法なども見つけることが可能です。

数秘術でわかる主だった事柄は

・表向きの自分、本当の自分自身
・個性や性格
・どんな才能を持っているか
・あなたの行動や考えの元になっているもの
・他人からどう見られているか
・野心、あなたの人生の目標
・あなたの行動や考え方にブレーキをかけてしまう原因
・日々の出来事や人生のサイクル(日運、月運、年運、9年周期etc)
・この先何が起きるか
・社会への役割
・長所、短所・・・etc   です

数秘術はあなた自身(や相手または物事)を数字に置き換え、訪れるチャンスや能力、才能を見つけてあなたに自分らしい生き方と幸せをもたらす道しるべとなります。
サインとなる数字から自分らしい生き方を見つけ、直すべきところは修正し生かすべきところは大いに生かしながら、スムーズに生きる方法を教えてくれる心強いコンパスになります。
人生サイクルを前もって知ることで、今後の運気を最大限に利用する事もできます。
このリズムさえわかっていれば、何をやっても空回りする停滞期にもがいて失敗したり悩み苦しんだりすることもないし、逆に幸運期の時はどんどん積極的に動いていけば、潜在能力をフルに発揮して目標実現や成功も夢ではなくなります。

そして不運気の乗り切り方としては

私は運気が停滞する時期を「不運」期とは考えず、内省し行動期に入る前の充電期と考えています。
行動期の成功やチャンスを大きなものにするためにも、その前にある停滞期には意識的にパワーダウンし、自分を振り返り、足りないところは補って、自分にみがきをかけて準備しておく必要があるからです。
全力でつっぱしっても途中で倒れてしまっては、最終ゴールのテープは切れませんが、上手に休息をいれ、ペース配分をきちんとしておけば、ゴールは確実どころか金メダルも夢ではありませんよね?だから、何をやってもうまくいかないなっていう時期は決して「不運」なのではなくて、次に来る幸運のサイクルのために今のうちちゃんと準備しておきなさいよっていうサインなんです。

同じ厳しい時期であっても、人によってそれが小さなダメージだったり、事のほか大打撃だったりと変わるのは、その人がこの時期をどういう風に過ごしたかにかかっています。
リズムを無視してもがけばもがくほど、打撃はさらに大きくなります。そう言う時期は何か新しいことを始めたり外に向かって働きかけないことです。

次に来る幸運期がどれだけ大きなものになるかは、充電期の過ごし方次第で左右されてしまいます。
こういう時期は次の幸運期の始まりを楽しみに、あせらずの~んびりと過ごすのが一番大切。
ついてないからと言って「自分は不幸だ」なんて決して思わないようにしてくださいね!
どんな人にも公平に楽しくて幸せいっぱいのサイクルが必ず巡ってくるんですから・・

結局、大事なのはその人の考え方かもしれません。
どんな時でも、楽しく前向きに、ベストを尽くしながら今を生きていれば、運に翻弄されるようなことはないでしょう。

ところで数秘術も振動がキーワード。
数字や文字が持つ振動が基礎になっています。
すべてのものには独自の振動があり、これらが”持ち主”にその振動に応じた個性や特長を与えます。
ということで、数字によって正確な分析が出来る理由はこの振動のせい。

例えばライフパス(個人数)1を持つ人や物同士が似ているのも、1という数字の振動が同じだから。
人に限らず、モノなどにもつけられた名前(呼び名)は文字で出来ている → 文字は数字に置き換えられる → 結果的に文字に変えられるすべての物事の特長や傾向が分析可能ということになります。
ですので、リーディングできないものはないと言われているんですね。

『振動がある』ということは共鳴効果もあり。
例えば、自分の数字と同じ数字の物事や場所とは相性がいいんですよ。
一例をあげると、アメリカは5ですが、もし5の人がアメリカに住んだとしたら、共鳴による相乗効果で目標や願望が達成しやすかったりします。
実際、「水が合う」とか「住み心地が良い」所と言うのは案外自分の個人数と同じ数字だったり、数字同士の相性が良かったりすることが多いです。

そして、カバラ数秘術のルーツについてですが、ご存じのように、ユダヤ民族は過酷な歴史に翻弄されながらも、今日まで絶えることなく生き延びてきました。しかもそれだけではなく、世界でたった0,2%の人口でしかない少数民族であるにも関わらず、世界の名立たる大富豪や著名人の多くがユダヤ人であることは周知の事実です。

彼らの存続や成功の秘訣は、カバラの実践に他なりません。
(その昔、カバラ数秘術は各家庭ごとに一子相伝で伝えられてきたもので、門外不出の秘法でした)
数秘術によって人を読み、時代を先取りできたおかげで、今日の繁栄や成功があるといっても過言ではないでしょう。

中でも、『カバラ数秘のライフ・サイクル(バイオリズム)』の的中率はこれまでのところほぼ100%であり、今でも大富豪や証券トレーダーたちが利用しているもので、カバリストたちの間でも門外不出の秘法とされている方法です。
このサイクルでは人生の主要な活動期に当たる数十年間の流れを的確に知ることが可能です。

数秘術の特徴や主に優れた点は、

  ・的中率が高い(ノストラダムスやダヴィンチも愛用していたといわれています)
  ・小学生レベルの足し算さえできれば誰でもできる
  ・扱いが簡単でわかりやすい
  ・人や物など適用範囲がとても広く、過去-現在-未来の運気を知ったり変えたり等、大変実用的である
  ・一度習えば、一生使える  
            です。

どうですか?ダンダンとカバラのことがよく分かってきましたか?

たくさんのカバラの講座も出ているみたいなので良かったらみなさんも、この機会にぜひ、挑戦してみませんか?

追突4

私は白魔術が好きでカバラの勉強をするつもりですが、カバラ魔術の中でも最も基本中の基本であるメルカバについてここでお話してみたいと思います。

これはヘロハートの書に載っているものです。

―メルカバについて―

天使や神の秘密の名を探りだし、その知識と、そして特殊な呼吸法や聖歌や祈りの言葉やまじないの文句をリズミカルにくり返す…そういう方法を用いて、神のいるとされる「栄光の玉座」に人間が登ることを伝えるものです。
そのためには、体を清める沐浴や特殊な食事や断食や呼吸法、頭を膝の間に挟むなどの特異な姿勢とかを行う必要があるし、それなりの「能力」がないと無理なのもありますし、また、これら厳しい条件に耐えうるだけの精神力も要求されることから、実際に実践するのは少数の方に限られたようです。

それぞれの宮殿の門には、そこを守る強力な天使達がいて、その天使達の承認を得ながら天界を登っていく…
というのが、まあ、一番平易な理解です。

幻視を行う者は、トランス状態になって意識を切り替えていくわけです。

そのためには、体を清める沐浴や特殊な食事や断食や呼吸法、頭を膝の間に挟むなどの特異な姿勢とかを行う必要があるし、それなりの「能力」がないと無理なのもありますし、また、これら厳しい条件に耐えうるだけの精神力も要求されることから、実際に実践するのは少数の方に限られたようです。

それぞれの宮殿の門には、そこを守る強力な天使達がいて、その天使達の承認を得ながら天界を登っていく…というのが、まあ、一番平易な理解です。
ちょっとややこしいのですが、逆説的な意味合いで「下降」するという表現を後半のメルカバ書物では使っているようですが、行っていることは同じですね。

門を通り抜けるためには、天使達の正しい秘密の名前や魔法の名前を覚え、紋章(あるいは指輪)や刻印を覚え、聖歌や祈りの言葉などを覚えて行かねばなりません。聖歌の中には、ハイヨト(メルカバ天使の位階の一つ)の歌があって、クェドゥサ(三聖誦)で締めくくられるのが多いらしいです。
ここで覚えなければならない「名前」については、ゲマトリア手法が使われているようですね。

門を守る天使たちは、当然ですが幻視者を通せんぼするわけで、ここで正式な手続きを踏めなかった場合、幻視者は命の危険にさらされます。(「死の罠」と表現されるようですね、この「通せんぼ」を。ちなみに、第6天は「水の試練」だそうです。これが一番キツイらしい。ここが、メルカバの暗黒面とかっていうお話もあります)
また、門を無事に通れたと言っても、そこで視る世界に精神が耐えられない場合は狂うそうです。
天界にもいろんな約束事がありますが、精神がその「約束事」に耐えきれなかったり、視た世界が精神力を越えた世界だったりするわけですから、それらに耐えられる精神力の無い者は第7天までたどり着けないわけです。

メルカバ文献(「小ヘハロート」)の中には、実際に天界へ登って行き、幻視を行った四人の幻視者の説話が載っているものがあります。
ベン・アザイ、ベン・ゾマ、エリシャ・ベン・アブヤー、ラビ・アキバの四人です。
この中で、アザイは死に、ゾマは狂い、エリシャは堕落し、アキバのみが生き残ったとのこと。

上のことはメルカバのことが詳しく書かれたブログから引用させて頂きました。
このように大変、ロマンがあり、夢や冒険もありのとっても素敵な魔術の世界がみなさんにもご理解頂けたことと思います。
他にも「ヘロハートの書」の薀蓄として、一般的なユダヤ教カバリストは、魔術に対しては否定的な態度を取る。と記されてありました。

理由としては、まず魔術は4つの世界の均衡を破壊し、事物を本来の位置から逸脱させてしまう。となっています。

また、カバラにおいては、神の名前を使えば様々な超常的な現象を起こせると考えられた。
神の名前は、神の本質をあきらかにするものである。神の本質は絶対的な万能にして全能の力なわけであるから、その名前を使うことによって、その本質を捉え、利用することができるはずである。また、神の名前を表す個々の文字も、本質の一部分なわけであるから、当然神の力が分け与えられているはずである。ヘブライ文字に霊力があるのは、このためである。
また、天使は神の使いであり、それはすなわち神の力の出口なわけであるから、当然天使の名前にも、同様の効果があるわけである。

こうして、超常的な現象を呼び起こす神の名前のことをシェム・ハムフォラスと呼ぶが、カバラ魔術の効果については、以上を根拠にしている。

などなどメルカバ含めてカバラには、たくさんの意味合いがあります。

さらに、少し前にお話したメルカバの原点とも言える「ヘハロートの書」についてですが、これは、「神の宮殿・広間」を意味する。これはメルカバ瞑想において、非常に重要な概念である。メルカバの秘儀(別項で詳述)を実践する者は、メルカバに達するためには七つの宮殿を通過しなければならない。しかし、それらの宮殿の門には恐ろしい門番の天使がおり、それらを鎮めて突破するための秘伝が存在する。「ヘハロートの書」とは、こうしたメルカバの秘儀を扱った文書の総称である。と文献には記されています。

これは大変知識として役立ちますよ。私はこの部分の内容はもう何度も読み返して暗記したほどですから。

また、メルカバの秘儀について語る際、絶対に無視できない人物についてご説明しますね。それは下です。

ベン・アキバとシメオン・ベン・ヨハイ、イシュマエルらである。特にアキバは1~2世紀頃の人物でメルカバの瞑想に関する手引書をいくつも残している。そして、さらに付け加えるならば、ヘハロートの書の中で、もっとも重要といえるものが、「大ヘハロートの書」と「小ヘハロートの書」であろう。これらはイシュマエル・ベン・エリシャによって書かれたものらしい。「小ヘハロート」ではベン・アキバが主人公となり、 「大ヘハロート」はネフニア・ハ・カナーとイシュマエルが導師として登場する。

「大ヘハロート」の実践者は、その準備段階として厳しい食事制限、沐浴を行う。そして、神の名前を含んだ呪文を唱え、神を讃える賛歌を歌い、頭を両膝の間に挟む姿勢を取らなければならない。そして、いよいよ瞑想に入るわけである。
瞑想者は深い恍惚感の中で、天界を幻視して、そこを旅する。そして、この幻影の中で七つの天界を旅するうちに、修行者の霊魂は地上的なものから解放され、神へと近づいてゆくのだ。

この書においては、7つの天界の最高位に位置する7つの宮殿をめぐる旅が重要な位置を示している。修行者は、各宮殿(ヘハロート)の門番の天使に、護符を見せ、呪文を唱え、彼らの怒りをかわずにそこを通して貰わなければならない。
そして、それぞれの門番には、それぞれの新しい護符や呪文が必要になる。

「小ヘハロート」では、こうした護符や力ある言葉の記述で埋められている。こうした護符は主にローマ帝国時代に成立したらしい。

「ヘハロートの書」より少し後に出た書が「ラジム(神秘)の書」である。

メルカバ瞑想は、この後も進化を続け、やがて護符の類はあまり使われなくなってゆく。ともかくも、ユダヤ教カバラの伝統中には、儀式魔術の原型となる思想が、間違いなく含まれていたのである。

実に説明が長くなりましたが、これらの内容がもっと詳しく載っている書籍を下にご紹介します。

「ユダヤの秘儀 カバラの象徴学」 せヴ・ベン・シモン・ハレヴィ 平凡社
「カバラ」 箱崎総一 青土社
「カバラ」 ロラン・ゲッチェル 白水社
「カバラー」 チャールズ・ポンセ 創樹社
「カバラ Q&A」 エーリッヒ・ビショップ 三交社
「カバラーの世界」 パール・エプスタイン 青土社

です。

もし、ご興味をお持ちになりましたら、ぜひ、一度読んでみて下さい、お勧めです!

とにかくこれからも私は、一日も早く今のこの不幸な現状を乗り切るために白魔術の勉強をもっともっと深く学んで邪悪な黒魔術と戦うつもりですから。同じ志の方いましたら、どうぞよろしくお願いしますね。

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